【日本一周31日目:5月2日 日曜日①】萩〜萩往還を歩く①〜

こんにちは! 日本一周中のりかです。


今朝耳にしたニュースです。 「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」の世界遺産登録がほとんど確実なものとなりましたv コロナウイルスの拡大がなければ2020年に結論が出ていたものですので、この界隈では別にサプライズではないのですが、ひとまず良かったなと思います。

沖縄などあの辺なんて元々インバウンド人気があったでしょうに、さらに注目度がアップしそうな場所ですよね。 世界遺産登録を機に、よりたくさんの観光客が来てくれるようになり盛り上がれば嬉しいです。

私はリゾート系はハワイ一筋ですヾ(;∀;)ノ


さて、今日は萩往還ウォーキングに挑戦しましたv

萩往還というのは、萩から三田尻を結ぶ約53kmの道のこと。 参勤交代のルートとして開かれ、幕末には志士たちが行き来する重要な交通路でした。

約53kmのルートを6分割した地図を観光案内所でもらいましたので、そいつをアテにして進みたいと思います。

私は紙の地図をそのまま持ち歩くのではなく、こんな感じでスマホカメラで地図を撮影して必要に応じて拡大したりしながら使いました。 日頃からスマホに馴染みがあるのなら、この方法が圧倒的におすすめです。

今日の目標はRoute.02の板橋口バス停まで。 約17.5kmの道のりです。

……歩けるのか、私( ´ A ` 。 )

ちなみにこのマップは公式サイトからもダウンロードが可能で、サイトの方では6分割ではなく4分割となっていました。


とりあえず朝食は強くなりそうなものを()

萩往還Route.01(唐樋札場跡〜明木市)

天気はのっけから小雨( ´ A ` 。 )

晴れの日だけ歩こうと思っていたのですが、滞在中のお天気予報を見ると1日しか晴れの日がない……。 なら雨でも歩くしかないヾ(;∀;)ノ ということで不安だらけのスタートです。

唐樋札場跡 高札場

本当の萩往還は萩城跡からスタートするみたいですが、勘違いをして唐樋札場跡からスタートさせてしまいました。 ……だって、地図に起点って書いてあったんだもん( ´ A ` 。 ) まあ大した誤差ではありませんので、このまま進みます。

高札場というのは、幕府や藩からのお触れを貼りだしていた掲示板のことです。 「忠孝にはげみ、親子兄弟仲良くすること」といった生活に関することから「キリシタン禁止令」のように信仰に関することまで幅広く律されていたそう。 ちなみに現在建っているのは復元です。


藍場川を横断します。

この橋の上についている飾りの模様?文字? どなたか解読できますでしょうか……。

鯉……? とも思ったけれど、それにしては里の部分がお粗末ですもんね。 それかどなたかの家紋的なやつなのだろうか。。。 迷宮入り待ったなしです。


どんよりとした橋本川を渡ります。

金谷神社

江戸時代、ここの神社の前に城下町への表玄関のような役割を果たす『大木戸』があったそうです。 つまりは相当賑わっていた神社に違い有りません。

無事に今日一日歩けるように、おまいりをしておきましょうか( ´ A ` 。 )

敷地は広くて中々立派です。

ここでも御朱印をいただけるのですが……、

なんとセルフサービス( ´ A ` 。 )

上の写真の右側に木の机がありまして、そこに書き置きの御朱印がたくさんと、お金を入れる箱があり自由に取れるようになっています。 参拝客を完全に信用してくれていますね。。。 もちろんお支払いはするのですが、ちょっと緊張しました。

300円でした。

セルフということは、両替ができないので注意。 そして日付もセルフなので注意ですヾ(;∀;)ノ

萩駅

昨日ぶりの萩駅です。

井上剣花坊碑

井上剣花坊は明治3年生まれ、萩出身の川柳作家さんです。 この方の川柳が刻まれた石碑はあちこちで見かけました。 萩往還散策の一つの目印になるかと思い、載せておきます。

慰霊碑

詳細不明。 萩往還のマップ上にも存在が記載されています。 萩往還との直接的な繋がりはないそうです。

大屋観音橋

最初は道を間違えずに歩けるのかとても不安だったのですが、終始案内表示がしっかりとあるので見落さなければ迷わずに進めます。

右側の青い看板のような感じです。 分かれ道には必ず設置してあるので、もしも分岐点なのに看板が見当たらないような時には勘などに頼らず、どこかでミスっていないか来た道を振り返ることも大切です。


こういう飛び出すな看板は地域ごとに特徴があってついつい見てしまう。

涙松遺跡

「かえらじと思いさだめし旅なれば、一入ぬるる涙松かな」

吉田松陰が安政の大獄で江戸へ送られる時に詠んだ歌です。この辺りの道は「涙松」と呼ばれていまして、それを一躍有名としたのがこの歌であります。

江戸時代、萩の城下の景色を見ることができるのはこの道が最後だったため、旅立つ人達は松並木の間から見え隠れする萩を見つつ別れの涙を流す……そんな場所だったみたいです。 やはり当時は今とは距離の重みが違いますよね。 それを実感いたします( ´ A ` 。 )

萩往還梅林園

今の時期は緑がきれいでした。 とか言っている場合ではなくここで悲劇が。

だいぶ雨足が強くなってきたので、梅林園の中にあったこちらの休憩所へ避難してきたところなのですが、ここで超豪雨に見舞われます。 あまりにも強すぎて、なんか警報でも出ているんじゃないかと何度かスマホを確認してしまいました。

寒いし雨が入ってくるしとりあえず扉全締めで籠城……すること1時間30分。

少し弱くなってきてそろそろ出れるかも……!と思ったら急に強くなって嵐、の繰り返しで埒が明かなかったので、弱くなったタイミングでもういいやと飛び出しました。

緑の伝承

ここ方向音痴どもは絶対迷うので是非目印にしてください。(体感済み)

そしてかならずトンネルをくぐりましょう。

パネル自体は萩往還を当時の状態へ近づけるため、頑張っていますよということです。 確かにとても良い景観で、しんどいながらも歩いていて楽しいです。

悴坂一里塚

一里塚は、私がスタート地点とした唐樋札場跡から一里(約4キロ)ごとに置かれていたみたいです。 ここが最初の一里地点ということなので、もう4キロ近く歩いたということになりますね。

本当に緑がきれい。 山道すぎずちょうど良いです。

ちなみに私は軽装というかもろ普段着で歩いています。

周りを見るとウォーキング用の服装や杖を持っているいわゆるガチ勢が多かったので、実際のところ重装備は必要なのか、軽装で問題ないのかというところを実証していきたいと思います( ´ A ` 。 )

大屋刑場跡

江戸時代に処刑場があった場所です。

栗山孝庵女刑屍体腑分之跡

日本で初めて女体解剖が行われた場所です。 解剖された女性は罪人で、夫を殺したとか重症を負わせたとか言われていて曖昧ですが、斬首刑の後に栗山孝庵によって解剖されたそうです。 弔いの碑かと思えば偉業を称えるために建てられた碑とのことで、当時よりは医学が発展している今とのギャップを感じました。

首切り地蔵

直ぐ側に立っているお地蔵様は供養のためです。

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【日本一周31日目:5月2日 日曜日①】萩〜萩往還を歩く①〜” に対して2件のコメントがあります。

  1. tomabi より:

    こんばんは。
    日本一周旅、お疲れ様です。もう一息ですね。
    ホッとした気持ちと、まだ残りたい気持ちが交差する旅の終わりの複雑な気分じゃないですか。
    そんな気持ちもなかなか良いもんですよね。

    萩往還、山陰の旅の下調べの中で初めて知りました。
    そのときは、これは歴史探訪としては魅力的だけど、相当な健脚向きのコースだろうと意識の外にありました。
    それをあなたはハイキングするような軽装で気軽に、途中の豪雨にも負けず、不審な親子もやり過ごし、とうとうルート1を制覇して、そのままルート2に進もうとされている。
    その行動力には脱帽です。

    1. rika より:

      tomabiさん
      こんばんは! コメントありがとうございます。
      予定を1日早めて、本日無事に帰宅いたしました。 帰ってみるとやはりほっとします。
      そして、実際には難しいもののすぐに次の旅の計画を立てたくなってしまいます(笑)
      萩往還ウォーキングは日数に余裕があるからこそチャレンジできた気がします。
      行動力だけで生きてしまっている感がありますので、計画性や我慢なども身に着けたいものです。。。
      でもそう言っていただけてとても光栄ですヽ(;∀;)ノ

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