【日本一周31日目:5月2日 日曜日①】萩〜萩往還を歩く①〜

道の駅 萩往還

やっと休憩ポイントらしき場所へ到達しましたヾ(;∀;)ノ ちなみに萩往還の雰囲気をライトに味わいたいという方には、ここまでのルートをおすすめします。

奥から手前へ順番に、山県有朋 , 木戸孝允 , 伊藤博文 , 天野清三郎 , 野村和作 です。

木戸孝允と伊藤博文くらいは知っているつもりだったけれど、これは言われなきゃ分からんヾ(;∀;)ノ

左から順番に、高杉晋作 , 吉田松陰 , 久坂玄瑞です。

うん、特徴があるので高杉は分かりますね。

松陰記念館

道の駅萩往還には無料の見学スポットがあるのです。

吉田松陰って先生と呼ばれているし、松下村塾からはたくさんの逸材を輩出しているわけですが、30歳で亡くなっているという何度聞いても衝撃の事実よ……。 その30歳は人生何周目の30歳ですか? 30歳なんてほとんど私と変わらないわけで( ´ A ` 。 ) 全く、バグっていますよ江戸時代。

松下村塾の様子ということです。 こうしてみるとみんな大人ですね。 今でいう起業塾的な感じなのでしょうか。(違うか)

うどん茶屋 橙々亭

まだ進みますので、雨宿りとパワーチャージを兼ねてランチにします。

瓦そば一人前。

めっっっちゃくちゃおいしかったですヾ(;∀;)ノヾ(;∀;)ノヾ(;∀;)ノ

人生初瓦そば。 一人前にするか二人前にするか迷った瓦そば。 二人前でも全然食べられたわこんなにおいしいのなら。 麺を瓦でわざと焦がしてパリパリにするのが最高でした。

結構混んでいて並びましたが、時間をかけたおかげで寒かった体も暖かくなり、なんとあれだけ強かった雨も上がりました。

『ようこそ萩』道の駅を去る時に振り向き見た看板です。 すっかり青い空。


こっちは到着した時に撮った雨空の『またきて萩』。 空の色が全然違います。


雨宿りのせいでペースが遅れていますので、急いで進みます。

悴坂駕籠建場

藩主一行が駕籠を降ろして休憩した場所です。 四角い2つの台は駕籠を置く場所。 こちらは復元されたものです。

お手洗いもこんな感じであったみたいです。 つくづく現代に生まれて良かったと思います。

簡易的なお茶屋もあったみたいです。

この辺とかかな。 どこだろう。 ここでよしということにしておきますか。

鹿背隧道

作られてから130年程立つそうですが、現役のトンネルです。 良い。。。

休憩所

ところどころ休憩所があります。

ここで注意ポイント。 都会の感覚で歩けばコンビニに当たると思ったら大間違いですから……( ´ A ` 。 ) いやまさかそんななめてる人はいないとは思いますが、もしもどこかの誰かのように少しでも油断があるのなら今すぐ考えを改めてください。

自販機ならなくてもまだ我慢ができますが、トイレは行ける時に行っておかないと本当に後悔するかもしれません。 かくいう私も一時期は覚悟を決める場面もありました() や、なんとか耐えて無事でしたが。 想像以上に無の道が続きますのでご注意を。

烏帽子岩

自然とできた岩ですが目印になっていたそうです。 殉難三士のうち、香川半助と冷泉五郎の首をこの辺りで晒したとか言われています。

さて、山を抜けたようです。

ここでこの辺りで起きた話をひとつ聞いてください。

とにかくここは人気が一切ないんです。 そしてこちらも一人。 なので過剰なくらい物音には敏感になります。

周囲を気にしながら歩いていたら背後から一台の自動車の気配が。 お互いが通れる十分なスペースがあると思ったけれど、向こうがスピードを落として徐行に入った感じがしたので、私も端に避けて車が追い抜きやすいようにスペースを空けて歩くことにしました。

しかし、追い抜くどころかその車はゆーっくりのスピードのまま背後へ近づいてきます。 なんだろうと、さすがに気になって足を止めて振り向くと、その車の運転席と助手席には還暦を少し過ぎたくらいの男女、後部座席には20代後半から30代前半くらいであろう女性。つまり親子と思しき計三人が乗っていました。

そして三人とも、

じぃーーーーー

っと、見ている気がするんですよ、私のこと。

さすがに私も警戒してしまって、なるべく車内を見ないようにしながら車が過ぎるのをやり過ごそうとするのですが、車はもはや徐行というかそれ停車してないか?くらいの速度で隣につくんです。 さすがに何と思って顔をあげると、はっきりと車内が見えてゾッとした。 顔を思い切りこちらに向けている顔が、三つとも同じ顔してる……。

親子で顔が似ることはままありますが、夫婦でここまでそっくりなことあるのでしょうか。。。似ているのは元の顔だけじゃなくて表情もお面みたいに同じというか、

じとーっとした感じで、余所者が来たぞなのか分からないけれど、値定めするみたいな、煮るなり焼くなりどうしよっかなみたいな、とにかくめっちゃくちゃ怖かったです。 本当に怖かったし気分が悪かった正直。 人のことジロジロ見たらいけないってマナーを教わる機会はないのだろうか。

よく田舎が舞台のじめついたミステリーとかありますけれど(三津田信三みたいに!三津田信三みたいに!)そういうどんよりした空気を色々吸っちゃった今回の旅でたくさん。 おかげで地方へIターンしたい欲は木っ端微塵になくなりました。

もちろん田舎を否定しているわけでは全くなくて、ないのですけれど。 良いところもたくさんあるし。 なんか言いたいこと伝わりますでしょうか、伝われヾ(;∀;)ノ

乗っているのが家族だと分かった時点で犯罪的な恐怖は薄れていたけれど、しばらくは車を見るたびに小走りになってしまうくらいにはトラウマでした。

萩往還街道のお地蔵様

雨がまた降ってきた。 怖い( ´ A ` 。 )

殉難三士の碑

吉田松陰短古歌碑

これは、涙松と反対に吉田松陰が萩へ護送される時に作ったとされる詩です。 この時はペリー艦隊で密航を試みた結果捕まりました。やんちゃか。

その密航を企てた場所が静岡県の下田という場所らしいので、青春18きっぷのシーズンにでも行ってみようかなとか思っています。希望的観測です。

明木橋

明木橋は江戸時代からありましたが、現在の明木橋は当時とは場所が少しずれたところに再建されたものなので全く別物です。 この橋を渡っていきます。

萩往還交流施設「乳母の茶屋」

名前の由来は、お茶屋の跡地であることから。 自由に中へ入れました。

室内の休憩所というのはとてもありがたいです( ´ A ` 。 ) ここでしばしの休息。

明木市街道筋

明木市は萩往還の発展に伴って宿場町として栄えました。 残念ながら、明治に大火災がありほとんどが焼失してしまったそうですが( ´ A ` 。 )

庚申塚



と、いうことで、Route.01歩き切りました〜!

マップでは約3時間ということですが、6時間30分掛かりました……。

しかしそのうちの3時間は雨宿りと昼食なので、歩いていた時間でいうと約3時間30分。 概ねマップ通りです。

このままRoute.02へ進みますv

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【日本一周31日目:5月2日 日曜日①】萩〜萩往還を歩く①〜” に対して2件のコメントがあります。

  1. tomabi より:

    こんばんは。
    日本一周旅、お疲れ様です。もう一息ですね。
    ホッとした気持ちと、まだ残りたい気持ちが交差する旅の終わりの複雑な気分じゃないですか。
    そんな気持ちもなかなか良いもんですよね。

    萩往還、山陰の旅の下調べの中で初めて知りました。
    そのときは、これは歴史探訪としては魅力的だけど、相当な健脚向きのコースだろうと意識の外にありました。
    それをあなたはハイキングするような軽装で気軽に、途中の豪雨にも負けず、不審な親子もやり過ごし、とうとうルート1を制覇して、そのままルート2に進もうとされている。
    その行動力には脱帽です。

    1. rika より:

      tomabiさん
      こんばんは! コメントありがとうございます。
      予定を1日早めて、本日無事に帰宅いたしました。 帰ってみるとやはりほっとします。
      そして、実際には難しいもののすぐに次の旅の計画を立てたくなってしまいます(笑)
      萩往還ウォーキングは日数に余裕があるからこそチャレンジできた気がします。
      行動力だけで生きてしまっている感がありますので、計画性や我慢なども身に着けたいものです。。。
      でもそう言っていただけてとても光栄ですヽ(;∀;)ノ

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