【お遍路女子一人歩き】4番札所・大日寺~7番札所・十楽寺|区切り打ち第1回 4日目《2022年9月》3泊6日④
こんにちは! サブタイトルが思いつかなくなってきたりかです。
この日は滞在最終日(本当は昨日が最終日だったのに……)。連日の台風に怯える日々(?)も過ぎ去り、ようやく満足にへんろ道を歩くことができた、不幸中の幸い日でしたv
そしてタイトルの通り、お遍路とは時間に追われるものだなと実感しているところです。納経所は17時には閉まってしまうし、歩く速度はそんなに早くはならないし。 でも多分一生に一度のお遍路。時間やお金が掛かってもゆっくりと行くことを改めて決心いたしました。 どんなにペースが遅くたって、右足出して左足出せば前へ進むんですから。……と、早くも悟りの境地に達したというべきか、開き直ったというべきか( ´ A ` 。 )
Contents
【3番札所 奥之院】宝国寺
時刻はAM8時。 一昨日最後におまいりした宝国寺からスタートです。徳島駅からバスで1時間ほどかけてやって来ました。
昨日までの恐ろしい台風は過ぎ去り、とても涼しくて過ごしやすい気温。
お賽銭箱の前あたりの白いかたまりは、スタンドにお遍路さんが差していった納札です。 少しめくって、一昨日差した納札を探してみると、わたしが訪問した後にも2人くらいおまいりしていたみたい。濡れて滲んでいたのと、昨日はとてもじゃないけれど外に出られる雰囲気ではなかったので一昨日に来られたのだと思いますが、その方達は台風ご無事でしたか。
方向音痴なので道しるべを発見するとほっとします。
ゆっくり行こう。とか偉そうに言ってしまいましたが、わたしの場合道に迷わなくなればかなり時間を節約できる気がしますヽ(;∀;)ノ でも、人間いざという時に決められれば良いと思っているので、迷子な自分も嫌いじゃないです(だからまた迷う)。
振袖地蔵
道の途中に何気なく立っていますが、実は長宗我部元親ゆかりの地です。
長曽我部元親が2万2千の兵を率いて、中富川をはさんで勝瑞城の十川氏と対戦、板西城主の赤沢信濃守も一族、郎党を従えて元親の大軍と戦ったが、戦い利あらず討死、留守を守っていた奥方は逃げることの不能を悟り、姫をにがして自分は「松の木」という所で自害、姫は犬伏の諏訪神社近くで捕えられ殺害された。土地の人は姫をかわいそうに思い、地蔵を建ててその霊を弔った。姫の名を「カヨ」といったので「カヨ地蔵」、その時振袖を着ていたので「振袖地蔵」ともいう。
https://library.bunmori.tokushima.jp/digital/webkiyou/34/3426.html
土地の方達、なんて心優しいんだ( ´ A ` 。 ) 自分達も戦に巻き込まれて大変だっただろうに。
歩きながらふと空を見上げると極厚の雲。
こんな景色を見ていると、昔の人達が神を信じて自然を恐れた気持ちも分かります( ´ A ` 。 ) 今にも空がじわじわと下がってきて押しつぶされそう。
さてと。ここを過ぎたあたりが本当に鬼門でした。正解の道が全く分からないヽ(;∀;)ノ
へんろマークの道しるべもないし、黄色い地図を見ても意味不明でした。正直言って、一昨日もここで迷っているうちに台風に巻き込まれリタイアしていますからね自分。1kmくらい進んでは戻り、また別の方向に1kmくらい進んでは戻りをひたすら繰り返し。
途中こんなところも歩きました。
そしたら水が流れていて道じゃありませんでした。
犬を連れた通りすがりの翁が信じがたいものを見る目つきでわたしのことを見ていました。
ナツキ・スバルばりにトライアンドエラーを繰り返し、ようやく目的地への道を探し当てた頃にはまさに満身創痍。そんなタイミングで会社の同僚から仕事の連絡が入り泣きっ面に蜂。 有休の日はこういうことがあるので心からの休暇は楽しめないです。
蓮花寺
ととろみたいなノリでへんろって書いてある……。こういうのはどういう方達が付けていくのでしょうか。
【3番札所 奥之院】愛染院
ここ愛染院も3番札所の奥之院。金泉寺の奥之院は2か所あるのでしょうか。
調べたところ、宝国寺よりも愛染院の方が一般的に奥之院とされているようですが、宝国寺を奥之院とする見方もあるみたいです( ´ A ` 。 ) こういうややこしい感じはなんだか一の宮論争を彷彿とさせます。
愛染院は、大きなわらじがインパクト大v 腰から下の病気が治るご利益があると言われています。
なんでも、こちらに祀られている赤澤信濃守、長宗我部元親が侵攻した際に討ち死にしたのですが、草鞋の紐が切れてしまったために負けてしまったという言い伝えがあるのだとか。
ということで、愛染院におまいりして治癒した方達はわらじを奉納していくそうですよ。
こちらは大師堂でしょうか。
石仏八十八箇所
小さな丘のようになっているところに石仏がずらりと。1番から88番まであり、ここをまわるとお遍路をしたのと同等のご利益が得られるそうです。 というわけで上まで登ってみました。
ふう、結願結願。
88番の次にも一体ありました。これは何でしょうか。
ここのすごいところは、88の石仏をぐるりと一周するタイプでなくて丘を登って降りるタイプなので誰でも自動的に逆打ちができる点です(?)。
1番札所から88番札所へと進んで行く順打ちよりも、88番札所から1番札所へと行く逆打ちの方が難易度が高いことから、ご利益も大きいと言われています。今からわたしは88番の石仏から1番の石仏へ降りていくので、これは逆打ちなんです……きっとそうなんです、違うとは言わせないんだからな。
愛染院でも納経をしていただけるのですがインターホンを押してもご不在でしたので諦めました。
重たい雲を眺めながら進みます。台風の名残で風が強く、涼しくて歩きやすいです。
へんろ道には道しるべの他に歌が飾られていることもあります。個人的に素敵だなあと思った俳句をご紹介しますv
願わくば 花の限りを 酔ふ遍路
とっても綺麗……。 この句を知りたくてネット検索したものの情報を得ることができませんでした。 どこかに掲載でもされているのかと思ったのですが、このへんろ道限りの俳句なのかもしれません。
庚申堂。ここで右折して右側の道を行くのが正ですが、迷子になったのでもうね、記念撮影でもしないとやってられません。
【3番札所 元奥之院】藍染庵
奥之院って、「元」のパターンもあるのですね( ´ A ` 。 ) 3番札所の奥之院競争は中々に激しそうです。
写真右側に「岩田ツヤ子の碑」という石碑があります。この岩田ツヤ子さんという女性がまたすごい方で。 何でも第二次世界大戦中、藍づくりが禁止となってしまったのですが、藍は毎年種を採り続けないと途絶えてしまうという性質を持っているため、ひっそりと山奥で5~6年種を採り続けたそうです。
この時代の女性が政府の目を逃れて信念を貫くってかっこよすぎませんかヽ(;∀;)ノ 相当怖かったのではないかと思いますが本当に尊敬します。
もうすぐ4番札所の大日寺へ着くという頃、犬の集団に遭遇しました。
跳ね回り吠えまくり、サイズも大きいし頭数がいるのでだいぶ怖かったですヽ(;∀;)ノヽ(;∀;)ノ
おいおい勘弁してくれよ、群れバトルは苦手なんだぜ……と思いながら、強そうな雰囲気でゆっくりと前だけ見て真っすぐに歩いて行ったら犬たちが怖がって逃げてくれたので作戦成功して良かったです。
この子たち、写真を見返すまでは野良犬かと思っていましたが首輪がついていますね。この時わたし以外に人っ子一人いなかったので、常に放し飼い状態なのでしょうか。
犬は繋いで飼うことが「徳島県動物の愛護及び管理に関する条例」により義務付けられております。ご近所や,知り合いの犬であれば飼い主にご注意してあげてください。どうしても繋いでいただけないような場合は,最寄りの総合県民局または動物愛護管理センターにご相談ください。
https://www.pref.tokushima.lg.jp/FAQ/docs/00009980/ 徳島県公式サイト
ということですからね。 徳島県も犬は繋いで飼わないといけないんだぞ( ´ A ` 。 )
本当に怖かったので、これを見ているお心当たりのある方いらっしゃったらどうか適切な対応をお願いいたします。。。
山神社
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いつも楽しく拝見しております。僭越ながら、疑問に思われていたことにお答えさせていただきたいと思います。
すでにいろんな方からご指摘があるかと思いますが、安楽寺の大師堂の扁額に書かれているのは、「遍照殿」という文字です。弘法大師空海のことを「遍照金剛」とお呼びしており、大師堂で「南無大師遍照金剛」と唱えるのも、「弘法大師空海に帰依します」という意味ですね。
「照」の字をばらしてみると、「日」「火(れっか。下の四点)」「召」の三つの部分から成っています。ですので、部分の並べ方が変わっていても、同じ字になるのです。鑑真の「鑑」も、「鑒」の字が使われていることもあります。
以上、高校教師のうんちくコーナーでした。
鷹山南坊さん>コメントありがとうございます!
教えていただきありがとうございますヽ(;∀;)ノ 字をばらして並べ方が変わっても同じ字になることがあるというのは初めて知り驚きです😳
高校教師をされているのですね、勉強になります……!