【日本一周32日目:5月3日 月曜日②】萩~萩往還を歩く③~
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萩往還Route.03(佐々並市~防長国境)
13時少し前に板橋口のバス停へ到着しました。
Route.03はこんな感じです。
いつも通りスマホで撮った地図を見ながら進みたいと思います。
吉田松陰東送通過の地 石碑
うん、今日は晴れていて良いですね( ´ A ` 。 )
ところで、こういった石碑であっても吉田松陰には「先生」を付ける文化があるようです。 これまで偉人は呼び捨てのイメージがあったのでなんとなく気になります。
首切れ地蔵
顔がないお地蔵様は途中で取れてしまったわけではなくて、初めからこの状態だったと言われています( ´ A ` 。 )
日南瀬の石風呂
お風呂の原型と言われています。 こちらは復元されたものです。
現代のようにお風呂にお湯を使うようになったのは江戸時代中期以降なんだとか。もっと前は、このような建物の中で火を焚き底の石を暖め、その上に海藻を敷いて着物を着たまま休んでいたそうです。
何となくサウナのイメージでしょうか。 中で火を焚くって熱そうだし、事故とか怖いですねヽ(;∀;)ノ
上長瀬一里塚
私が起点とした唐樋札場跡から五里の地点にあたります。 一里が約4kmなので、約20km歩いたということ。 我ながら足が強くなったなあと思います。
逆修石
「逆修」=生前に自分の死後の冥福ために仏事をすること という意味です。
この石は自然的に発生したものではなく、人の手で建てられたものだそう。 色々伝説があるけれど、建てられた経緯などはっきりとしたことは未だに分かっていない感じでした。
萩往還夏木原交流施設
バス停の曲がり具合がえらいこっちゃ。 立派そうな屋根付きの休憩所がありましたが、立ち止まるとそのまま立ち上がれなくなる気がしたのでスルーします。 さすがに昨日の疲れが溜まっているようです。
吉田松陰東送の碑文
ここも吉田松陰「先生」となっていますねv
江戸へ送られる途中にこの辺りで一行が休憩。 その際に吉田松陰が作った漢詩です。 ちなみに私は漢文とか苦手なので原文は読めませんヽ(;∀;)ノ 説明看板によると訳はおおむねこんな感じです。
「この辺りはホトトギスがしきりに鳴いている。彼らは血を吐くまで鳴くと言うが自分の胸中もそんな感じ。(国の将来が心配)」
ホトトギスが血を吐くまで鳴く?と思い調べてみたところ、ホトトギスの口の中が朱色で血のように見えること、絞り出すような独特の鳴き声をしていることなどから中国で言われ始めたあくまで比喩表現っぽいです。
ち な み に 。
Route.03のマップにも記載のある「21世紀の森」ですが、駐車場が県内で有名な心霊スポットとなっているようなのです。。。 こういうお話好きですか? ググったらすぐに出てくると思います。 今は更地になっているという噂も聞きますが定かではありません。 この情報、事前に仕入れていなくてよかった、、、( ´ A ` 。 )
国境の碑
板堂峠
萩往還で最も標高の高いといわれている板堂峠に入ります。 標高537mとのことですが、普段こういうの登ったりしないのでピンときません。
ああああヽ(;∀;)ノヽ(;∀;)ノ
喫茶店の人達に止められた場所、多分ここだ……。怖い…………。
でも!!!!
有言実行。 行くしかありませんヽ(;∀;)ノ
というわけで、Route.04へ進みます。 Route.03の所要時間はマップの予想で約2時間に対して、1時間50分程でした。 ただ一切腰を下ろしていないので、休み休みだと私のような初心者は予想時間をオーバーすると思います。 ご注意です( ´ A ` 。 )
そしてRoute.03、ひたすらアップダウンのある車道を歩くシーンが多いので、しんどさに対して見映えはしません(笑) 車がすぐそばを走るのも怖い。 バス停でいうと板橋口から中作までワープしてしまっても良いかもしれません。
凄い!萩往還全路トレッキングされるのですね。
坂堂峠!なつかしい地名です。東鳳翩山登山の時,下山時はショウゲン山へ縦走して坂堂峠へ出て,石体子安観音堂までの萩往還石畳を歩くのが定番のルートでした。
コロナがおさまったら,萩往還全区間トレッキングして見たくなりました。
サイトに2015年に萩往還を歩いた時のアメブロ記事のURL貼っておきます。見てねw。
Punipunyさん
結論からお伝えしますと、萩往還、制覇はできませんでした( ´ A ` 。 ) 笑
なじみのある場所なのですね!地名でピンと来ていただいて嬉しいです◎ 全区間トレッキング、もし挑戦されるのであれば応援しています!
ブログ、同行者様のお名前が同じで笑っちゃいましたv