【日本一周36日目:5月7日 金曜日】下関→広島

こんにちは! りかです。

この日は下関から広島への移動日となりましたv


【電車】下関→広島

朝、早起きできたら唐戸市場もう一回行きたいなあとか思っていたのですが……。 7時起床( ´ A ` 。 ) そのあとなぜかベッドでごろごろしてしまい、結局寿司モーニングは諦めました。

下関駅から広島駅までは最安値での大移動。 4時間ほどかかりました。 長時間移動を楽しめるのも長期旅ならではだとしみじみ思います。 つくづく恵まれた環境にいるものです……。

もしくはただのニート。

広島平和記念資料館

平和記念公園は人生で一度は行かなければなあと思っていました。

義務教育の賜物か、毎年8月6日に組まれる特番のおかげか、あるいはそのどちらもか。 展示の内容自体は私が学んできたことと乖離するものではなかったため、予想外の驚きはありませんでした。 これは私世代に対しての教育が正しくされていたということなのかなあと思います。

ただ、直接目の当たりにすることで感じることもあります。 被爆してボロボロになった洋服、血液の跡、手紙、変形したお弁当箱。。。

この資料館へ大切な遺族の大切な遺品を寄付した方、当時の惨状を語った方、本当にすごいよ……心から敬意を示します。

資料館の通路から見える景色。

4月は18時閉館ですが、17時頃入りまして。 最後は駆け足になってしまいました( ´ A ` 。 )

原爆死没者慰霊碑

国内外問わず、亡くなった原爆被爆者の名前を記帳した名簿が納められているそうです。

関係者の申し出により常に書き加えられていて現在は319,186人。

もちろん記帳されていない方もたくさんいるはずですから、いかに大きな被害が出たことかよく分かります。

平和の灯

手首を合わせて両手を空へ向けている形をイメージしています。

昭和39年から絶えず炎が燃えており、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっています。 この写真だと少し分かりにくいのですが……

こんな感じです。

この炎は多くの人がテレビで見たことあるのではないかなと思います。

原爆の子の像

2歳の時に被爆し、10歳で白血病で亡くなってしまった佐々木禎子さんをはじめ、原爆で亡くなったすべての子供たちの慰霊碑だそうです。 彼女が病床で鶴を折り続けたことから、たくさんの千羽鶴が一緒に飾られています。

折り鶴の……鐘ですかね?

原爆ドーム

被爆前の名称は「広島県産業奨励館」です。

原爆ドームは核兵器の悲惨さを伝えるものとして世界遺産に登録されています。 第二次世界大戦関連の負の遺産でいうと他にはアウシュヴィッツの強制収容所があります。負の部分で登録される遺産は、その他の世界遺産と比較するとやはり少し特殊です。

そしてその特殊な性質ゆえ原爆ドームの世界遺産登録に反対していた国もありまして……( ´ A ` 。 )

それが米国と中国です。 米国に関しては、反対派にまわるのは立場上やむを得ないかもしれません。。。

で、そんな反対意見がありながらも、登録できた意義はとても大きいです。 単純に多少なりとも訪問者が増えるというメリットもあるし、世界遺産に登録されている=非核がユネスコや世界遺産条約の加盟国の共通の意思だという見方ができるようになるからです。

コロナ禍なので、長期滞在されている方達でしょうか。この日も外国語を話す方がたくさん見学に来ていました。 そうやって一人でも多くの人に来てもらって、インスタでもなんでもいいのでシェアしてもらって、正しい知識で広がり続けていけば良いのではないかなと思います。


本日の宿

今日も同室のお客さんは一人だけでした。

ごはんはまたマック……( ´ A ` 。 )

ところでマクドナルドのモバイルオーダーを活用されている方ってどのくらいいらっしゃいますか? クーポン使うためにアプリはダウンロードしているけどオーダーはレジってパターンの人多いですよね。

モバイルオーダーだと席に着いてからゆっくりメニュー選べるし、レジに並ばなくて良いし、気兼ねなくクーポンたくさん使えるしでおすすめです🌼 受取だけカウンターに行く必要があるけれど、店舗によっては座席番号入力すると席まで持ってきてくれる。


少し夜散歩。

バチバチの繁華街でした。 キャッチもたくさんいるし飲み歩いている人も多し。

宿の共用スペースで深夜まで作業( ´ A ` 。 )

で、共用スペースにいると他の宿泊客と顔を合わせる機会もあるわけなのですが、下関でも広島でも女性専用ドミトリーにしていて良かったなあと思います。 男女共用の方が安く見つかる場合が多いので、どうしても費用を抑えたい時はそうなるけれども……。

清潔感とかにおいとか気になるのであれば女性専用一択です……。 あくまで私が泊まった宿で個人的に感じたことではありますが、女の子のちょっとだらしないと男の子のちょっとだらしないは結構差があります(笑)

ただ、共用ドミについてセクハラ的な心配をされる方を見かけますが、最低限の挨拶以外に交流しなければ意外とその心配はありません。 向こうも誤解されたら嫌だと思ってるのでそれなりに時間ずらしたりとかしてくれます。


ここの宿、安いうえに芳香剤が良いにおい。2泊することにしましたv 明日も広島観光です。

【今日の出費】6,942円

宿泊費:1,500円

交通費:4,070円

食費:1,185円

消耗品費:187円

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【日本一周36日目:5月7日 金曜日】下関→広島” に対して2件のコメントがあります。

  1. Punipuny より:

    ようこそ広島へ。
    真っ先に平和公園と資料館を訪れていただき,ありがとうございます。

     私は被爆二世。父は爆心の数キロ南で被爆,母は直後に救援に入ったので被爆者です。父が当時の事を語ることはなく,母から間接的に「お父さんの顔のたくさんのキッポ(小さな傷跡)はピカ(原爆)の時の傷でまだガラスが入っているかもしれないキッポもあるかも」とだけ聞いていました。父が出血多量で生死の縁をさまよった事を知ったのは,被爆直後に助けて下さった友達が父のなくなる数年前に訪ねてきてくれ,話をしてくださった時のことでした。

     祖母は爆心のすぐ北で被爆。夏休みに遊びに行くと夜寝る時に被爆した時の事をよく話してくれました。ピカっと光った次の瞬間にドンと台所のくどの前の窪み(床下収納のような所があったらしいです)に落ち,上から梁が落ちてきて動けなくなったそうです。しばらくして「おお,白い足袋が見える。フミさん(祖母の名前)はここじゃ」と助けてもらったそうです。広島城のあたりから草津まで,大八車に乗せられて帰ったそうです。その途中に見た悲惨な光景も話してくれましたが,子供心にたいへんな恐怖でした。

     被爆体験。風化させてはいけない戦争の記憶の一つだと思います。戦争は悲惨で不幸です。平常が一瞬にして地獄になった広島と平常そのものが常時地獄になった沖縄地上戦。これらの資料はたくさんの人に見てもらう価値のあるものだと思っています。

     バチバチの繁華街の夜のお散歩。流川・薬研堀近辺かな。景気のいい時代だと肩をスレあわさずに歩くことが困難な位にぎやかっだったんですけとね~(笑)

    1. rika より:

      Punipunyさん
      そうだったのですね。ご家族のお辛い経験を話して下さりありがとうございます。とても大変だったと思いますが、ご両親とも生きてくださって良かったですね( ´ A ` 。 )
      早く、世界中の人にとって戦争が過去のものになることを祈ります( ´ A ` 。 ) ただ、忘れてしまうわけではなく、起きたことは伝え続けていかなければなりませんね。
      そんなに賑やかな時代があったのですね!肩を……って歌舞伎町よりもすごいです(笑)

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